投資顧問業法とは

1986年11月に施行

投資顧問業法とは、投資顧問を規制する法律です。 株式などの有価証券の投資活動をサポートする業者(投資顧問)を対象としています。 多岐にわたる禁止事項や義務を定めています。 施行日は1986年11月25日。 正式名称は「有価証券運用に係る投資顧問業法」。 金融商品取引法(金商)の制定に伴い、2007年9月に廃止されました。 現在は一般的に「旧投資顧問業法」と呼ばれています。

登録制・認可制の導入

投資顧問業法のポイントは、登録制・認可制の導入です。それまで日本には、投資顧問業者に対する法律上の規制がありませんでした。登録などの義務もなかったため、役所で実態を把握できていませんでした。

投資顧問を「助言業者」と「一任業者」に区別

投資顧問業法では、投資顧問を「助言業者」と「一任業者(資産運用業者)」で区別することにしました。「助言業者」は、投資の助言だけしかできないと規定されました。大蔵省(現:金融庁)への登録が義務付けられました。
一方、「運用業者」は、投資家のお金を預かって運用することが認められました。こちらには、大蔵省の認可が必要とされ、一段と厳しい参入条件が設けられました。同じ投資顧問でも「登録業者(助言業者)」と「認可業者(運用業者)」では規制の厳しさが大きく異なるというルールになったのです。

<旧投資顧問業法に基づく投資顧問の種類>
種類 投資助言会社 投資一任会社
手続き 登録制 認可制
業務内容 投資に関する助言や相談 投資家の資金を預かり、一定の自己判断や裁量で運用
英語やカタカナ語での呼称 Investment adviser(投資アドバイザー) Discretionary Investment Manager(アセットマネジメント会社)
金融商品取引法(金商)での位置づけ 投資助言・代理業 投資運用業
金商法における代表的な業者(例) スナップアップ投資顧問(ストックジャパン) ほか 野村アセットマネジメント大和アセットマネジメント ほか


制定の背景

投資ジャーナル事件

旧投資顧問業法が制定されたきっかけは「投資ジャーナル事件」です。1980年代に多くの投資家が詐欺被害に遭いました。

株購入の資金を集める

投資ジャーナルはバブル前夜のころ、東京・兜町を舞台に「保証金の10倍まで株の買い付け資金を融資する」とうたい、全国の投資家から総額584億円を集めました。投資家の数は7800人とも言われます。多くのお金が返金されず、「戦後最大級の悪徳詐欺」とされました。

中江滋樹は詐欺罪で服役

主宰者の中江滋樹は「兜町の風雲児」と呼ばれていましたが、1985年6月に警視庁に詐欺容疑で逮捕されました。1989年4月に最高裁で懲役6年の実刑判決が確定。服役しました。

投資ジャーナルのような事件の再発を防ぐため、悪質な投資顧問業者を締め出す必要がありました。それまでは野放し状態だった投資コンサルティング業界にルールを設けるべきとの判断から、大蔵省(現:金融庁)への登録を義務付けることになりました。

証券会社まがいの取引を防止

投資顧問業法では、投資顧問業者が証券会社まがいの取引をするのを防止することも狙っていました。また、客の金を流用するなどの行為を防ぐ目的もありました。

巨大化する投資顧問会社を認知する

投資顧問業法では、投資ジャーナルのような悪質な手口を規制する一方で、これまで法的根拠のなかった投資顧問会社を社会的に認知するという必要性もありました。

膨れ上がる金融資産

戦後の高度経済成長により、個人、法人の金融資産は1986年の時点で約800兆円に達していました。さらに、当時は毎年50兆、60兆円のペースで増え続けていました。資産の運用に専門的なアドバイスを行う投資顧問業に対するニーズは、ますます高まっていました。

「投資助言」業者への規制

投資アドバイザー

投資顧問法上の「投資助言」業務とは、投資のアドバイスやコンサルティングをする業務です。これらの業務を行う会社は、英語ではInvestment adviser(投資アドバイザー)またはInvestment Consultant(投資コンサルタント)と呼ばれます。

従来通り助言業務を継続

同法では、施行時点(1986年11月)で活動していた投資顧問会社については、施行から6か月以内に登録を済ませれば、従来通り助言業務を続けることができるとされました。

供託金500万円

登録業者は、破産者や禁治産者ではないなどの条件を満たす必要がありました。法務局に営業保証金(500万円)を供託しなければなりませんでした。この条件は、サラ金など貸金業の登録と同じでした。登録の手続き面は、それほど難しくありませんでした。

様々な規制

登録業者には様々な規制が課されました。具体的には以下のような内容でした。

  • 客から株などの証券を預かるのを禁止
  • 客に株などの証券を貸し付けたりすることを禁止
  • 客を相手に株式などの証券の売買を禁止
  • 助言はすべて記録することを義務付け
  • 虚偽の広告をすることを禁止
  • 広告でも客との売買はできないと明示するを義務付け
  • 大蔵省(現:金融庁)への営業報告書提出
  • 大蔵省の定期検査を受ける
  • 大蔵省が立ち入り検査できる
  • 大蔵省の業務改善命令を出すこともできる
  • 登録取り消しや懲役または罰金の罰則
  • 客は契約書を受け取った日から10日以内なら書面で契約を解除できる(クーリング・オフ制度)。

「投資一任」業者への規制

投資家の資産を売買する

旧投資顧問業法で制定された「投資一任」業務とは、投資家の資金を預かり、売買を行う業務です。いわゆる運用業務です。

今でいう「アセットマネジメント」

こうした業務は、後に「アセットマネジメント」と呼ばれるようになりました。当時はアセットマネジメントという言葉は一般的ではありませんでした。

ポートフォリオを自由に変更

一任業務の特徴は、客から投資判断を任されるという点です。投資から個別の株式などの売買を指示されるのでなく、自分の裁量で売買できます。預かり資産の運用構成(ポートフォリオ)も、自由に変更しながら運用できます。

投資家の指示が不要に

これまでは、ポートフォリオ変更時にいちいち投資家に相談して指示を受けねばなりませんでした。投資顧問業法の制定後は、認可を得れば運用を効率化できるようになりました。

認可を得るには

当顧問業者は、助言業者として登録を終えた業者が、さらに大蔵省に申請して、「投資一任業務」の認可を得ることができるとされました。

良質なファンドマネジャーの所属

しかし、助言業者のうち投資一任業務の認可を受けられたのはごくわずかでした。認可を得るためには、資産運用の専門家(ファンドマネジャー)がそろっているなどの厳しい条件が付いたためです。具体的には、助言業者に対する規制とは別に、以下のような条件が加えられました。

  • 財産的基礎、知識、経験のある人材が確保されている。
  • 十分な社会的信用がある。
  • 株式会社である。(当時、株式会社は1000万円の資本金がなければ設立できませんでした。今のように資本金1円で設立できるような状況とは全く異なりました)

相次ぐ参入

投資顧問業法が制定された1986年当時、投資顧問業への新規参入は、たいへん活発でした。

証券会社に加えて、銀行や保険会社が進出

投資顧問会社といえば、1970年代までは証券会社が中心でした。しかし、1980年代に入って、都市銀行、信託銀行、長期信用銀行が相次いで進出してきました。

外資や流通業者も

さらに、地銀、生保、損保も名乗りを挙げました。流通業者も参入しました。数十年の歴史と実績のある外資も、続々と日本に投資顧問会社を設立しました。

「街の投資顧問」

1980年代半ばには、金融機関の系列の投資顧問会社のほかにも、「街の投資顧問」がたくさんありました。大半は、地域の中小の会社です。

530社がひしめく

「街の投資顧問」の数は法施行当時、420社にのぼると推計されました。それ以外の会社は110社で、計530社の業者がひしめいていました。

巨大市場

投資顧問業法の施行時点で、証券系の投資顧問20社の契約資産は約5兆8000億にのぼっていました。それでも、投資顧問の先進国、米国の契約資産約200兆円、英国は約60兆円(いずれも1984年末時点)と比べると少なく、成長の余地が十分にありました。バブル前の財テクブームもあって、投資顧問市場は今後急成長すると予想されていたのです。

違反の事例

投資顧問業法のもとで、多くの業者が違反を犯したとして摘発・処分されました。

摘発の第一号

摘発の第一号は1988年でした。東京の投資顧問会社2社が“もぐり営業”を行い、200人以上の投資家から顧問料として総額6000万円以上を不法に集めていた事件が発覚。警視庁生活経済課は同年、投資顧問業法を初めて適用し、2社の社長を投資顧問業法違反容疑で書類送検しました。送検されたのは、千葉県船橋市「情報センター」の社長と、東京府中市「エンドレス投資」の社長でした。

登録拒否を受け、無届けで「もぐり営業」

警視庁によると、「情報センター」の社長は1984年(昭和59年)5月から東京都中央区日本橋茅場町で株専門の投資顧問会社を設立、営業していいました。投資顧問業法が施行され、大蔵大臣への営業登録が義務付けられた際、社員に前歴者がいたため、登録を拒否されたことから社名を変更。無届けのまま“もぐり”で営業しました。120人の顧客から「入会費年間10万-100万円、成功報酬は売買益の2割」の条件で、計3360万円の顧問料を不法に集めていたとされました。

「助言どおり株価が推移しない」などの苦情

また、「エンドレス投資」社長は1987年3月、同様のもぐり営業で個人投資家116人から年間入会費20万円を取ったうえ、成功報酬を売買益の1割とする約束で、計3120万円を集めていたという容疑でした。2社は顧客から「助言どおり株価が推移しない」などの苦情が寄せられると「今度こそもうけさせる」などと取引を繰り返させていたといいます。

金融商品取引法への移行

金商では「投資助言・代理業」と「投資運用業」

2007年に施行された金融商品取引法(金商)では、投資顧問業法上の「助言業務」が、「投資助言・代理業」という位置づけになりました。一方、「投資一任業者」については、金商法で「投資運用業者」と位置付けられました。

「投信法」「証券取引法」と統合

金融商品取引法は、投資顧問業に限らず、投資や金融に携わる業者を一括して規制する法律として新設されました。従来の「投資顧問業」「投資信託法(投信法)」「証券取引法」などの業界ごとにバラバラだった法律を一本にまとめて、「金融商品取引法(金商)に統括しました。金融の自由化によって投資業界の中の垣根が崩れ、相互参入が多くなってきたため、投資顧問だけに限定して規制するのが非現実的になっていました。